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タカコナカムラ時々ブログ


Whole Foodでいこう、再び!
「Whole Food」という言葉を見つけたのは、1984年頃だったと思う。 当時、「自然食」創世記。自然食にかぶれ、大好きだった「自然食」を唄えばいいのに、 私は、「自然食」を選ばなかった。 なぜなら、「自然食」という言葉の響きが貧乏ったらしい、宗教っぽい、薬臭いなどネガティブな要素を拭うことができなかった。 私の描く「自然食」をなんか新しい言葉で表現したい・・・と模索する中で アメリカ遊学中「Whole Food」という言葉に出会うことに。 「Whole」まるごと、全体、全部という響きは、私の中ではSounds Goodで、 「よっしゃ、これで行くぞ」と決めた。 初めて設立した会社名は「Brown Rice」そう、玄米。なんと自然食っぽいか。 あれから、40年も月日が過ぎたのだ。 桜沢如一先生に、”どはまり”し、マクロビオティックに入信。リマクッキングスクールに通う。小川みち先生にも師事、やたらに料理教室に通う日々でした。 桜沢先生の魔法のメガネに始まり、当時、むさぼるように著書を読みましたね。 そう、先生の優秀なお弟子さん「久司道夫先生」を
2025年3月31日


スパイスの魔法
私は、才能ある若者を見つけては、推し活。その1人が、メタ・バラッツさん。 アナン株式会社3代目。 1984年、鎌倉生まれ。南インド・ニルギリの高校GSISを卒業し、スイス・ジュネーブのCollege du Lemanにてケンブリッジ大学のA Levelを獲得。その後、スペインに留学。北インド出身の父メタ・アナンの元で、アーユルヴェーダを基にした料理を実践。 昨年、お父さんのメタ・アナンさんが急逝。現在は、鎌倉市極楽寺の古民家を基地に、スパイスの美味しさ、楽しさをスパイスのオンラインストア『インターネットオブスパイス』から発信中。 私は父のアナンさんとは40年前に出会い。スパイスより、エコロジーや動物愛護の師匠でした。 催事で、使い捨ての紙皿や爪楊枝を使うことを嫌い、納品書ですら、紙を使うことをやらない日本一先取りのエコロジストでした。 礼儀作法にも小うるさく、うっかり釣り銭をアナンさんの手のひらに渡し、泣かされたスタッフもいましたねーー。 そんなハード系エコロジスト、アナンさんと日本人のお母さんに育てられたバラッツは、3代目社長とはいえ、料理がめ
2025年3月24日


乾物を科学する
昨年、日本かんぶつ協会の『かんぶつマエストロ認定講座』で樋口直哉さんが登壇されました。 画像は、切り干し大根を刻みをハンバーグの具材に混ぜたもの。ホタテとクスクス添え、向こうは、干瓢をハイビスカスティーに浸けてピンクに仕上げたモッツァレーラのサラダ。 どれも、これまでにはない洗練された乾物料理。 受講生も他の講師も事務局もひと口で、樋口さんの大ファンに。 料理を作りながらのかんぶつトークが圧巻で、 教科書には書いてないレアでアカデミックな乾物の使い方に他ならないものでした。 樋口直哉さんは、どっちかというと、フレンチやイタリアンを得意とされており、『乾物料理』をお願いした際にも、断られるのではないかとハラハラ。 『乾物?いいですねーー僕、得意です』と引き受けてくださった。 そもそも乾物は間違いなく『絶滅危惧食品』 樋口さんの講座の際も、無漂白かんぴょうは既にスーパーから消え、探すのに苦労しましたよ。 棒寒天、ささげ、アラメだって取り扱う店はほぼない。 乾物は、旬が余りなく、いつでもある。腐らないから日持ちする。軽い。これってすごいメリットです。日
2025年2月12日


おせち料理を作ろうよ
この時期、恒例「おせち料理つくろうよ」と吠えている私。 おせち料理は「買うもの」となっているだけではなく、すでに、お正月の食卓に並ばない家庭が40%越えているという。 なぜ? 「おせち料理は美味しくない」が主たる理由。 プラスティック容器の鏡餅みたいな「縁起物」になり、食べなくても並べておくだけ。 いや、それすらもない家庭が増えているそうだ。 お節料理を作らない人の中には、『実家に帰って食べるもの』であり、一切作らない人も少なくない。その恐るべき実態が書かれた本が、大先輩の岩村暢子さんの『普通の家族がいちばん怖い』(新潮文庫)だ。 〜崩壊する正月、暴走するクリスマス〜 のサブタイトル。 ホントに現代のホラー小説といえます。 親たちが高齢化して、お節料理を作ってもらえないと帰省しない。 帰省しても、『上げ膳据え膳』でないと不満。 親戚集まり、接待や手伝いは嫌。 いい歳しても親からお年玉をもらう嫁。 さらに、鏡餅、門松、松飾りはもちろん、その意味も飾り方も知らない大人がわんさかいる。 もちろん、『お節料理』を作れない人も、親に作り方を聞く嫁も娘も消え
2024年12月10日


発酵の聖地巡礼・三河醸しツアー
今年で13回目になる「三河醸しツアー」は、三河と知多半島の発酵・醸造蔵を訪ねる学びのツアーです。かれこれ、20年前、愛知県岡崎市の「まるや八丁味噌」を初めて訪問しましたことがこのツアーを始めるきっかけでした。 蔵に足を入れると、木桶の上に石積みされた様は、ピラミッド郡のようでした。 浅井信太郎社長から仕込みの説明を受け、「なんて素晴らしい味噌なんだろう!」と めちゃめちゃ、感動しました。 次の訪問先、碧南市の日東醸造まで、浅井社長が車で送って下さることに。車中、三河発酵醸造文化について話を伺うことに。とにかく、興奮がおさまらない。 それは、当時、発酵醸造については、詳しい方だと自負していた私。 「百聞は一見にしかず」とはまさにこのことだ。 教科書やネットで見るものとは、迫力も理解力も全く違う。蔵の匂い、空気、全てホンモノ。 日本人であれば、ホールフードを学ぶものであれば、発酵醸造の現場を自分の目で見るべきではないか、いや、見ないことには始まらないぞ!とまで思うようになっていた。 たった「まるや八丁味噌」の蔵を見ただけでだ。 日東醸造に着いた頃には
2024年10月31日


Beyond 醤油
しろたまりマエストロ認定講座2024•10•26 テーマは"ビヨンド醤油" この認定講座は単に『しろたまり』ファンを増やす目的ではありません。 日本の醤油をもっと、愛してほしいのです。 実のところ、「醤油マエストロ認定講座」と言っても過言ではございません。 『しろたまり』は、白醤油なのに、「小麦醸造調味料」という、怪しい名称で販売しなければなりません。 そんなJAS法のハンデを乗り越え、今、世界に向けて「しろたまり」は広がりつつあります。 それは、『しろたまり』は、無国籍醤油だからです。 どんなジャンルの料理にも邪魔をせずに、味を底上げしてくれます。 普通の醤油を使うと、なんでも、残念ながら、和食化します。 それが『しろたまり』は、旨味を増殖させ、かつ、上品な甘味と風味を醸し出してくれる、 まさに『Beyond soy sauce』 醤油を超える醤油❗️だと私は思ってきました。 今になっては、『白醤油』チームでなくて、良かったのでは? 醤油を超えるには、全ての醤油を知り尽くさないと、超えられないわけで、だからこそ、 『醤油学』を教える方は、発酵
2024年10月11日


究極の発酵食品 甕壺仕込み黒酢
黒酢は、玄米を原料とするチーム米酢のひとつ。 その中でも、私が愛用しているのが鹿児島県福山町で醸される『甕壺作りの黒酢』です。 初めて福山町の黒酢畑を見た時の衝撃! そもそも、私は発酵食については、通信教育がくぶん社の発酵食スペシャリスト養成講座の監修をしている位、専門家の端くれだと思っておりました。 米酢のことだって、知ってるわい!と。 酢というものは、字の通り、酒から作られる。 酒ある所に酢ありき。 米酢は日本酒、ワインビネガーはワイン。これ、酢のいろは。 『黒酢』は、何となく健康によい、何となく、甕壺で、仕込んでるんだよなぁ、、、という浅い知識を持っていた。 福山町の黒酢仕込みは従来の酢とは、全く違う。 酒も、仕込まず、材料の玄米と麹を重ねて壺の中に入れて蓋して、屋外に置いて醸すという、原始的、エコ的な製法。 私のささやかな発酵食の知識は、甕壺のぞいて、ぶだ飛びました。甕の中で。全てが決まり、黒酢になること自体、アンビリーバボーな話し。 それを江戸時代から続けているのが福山町の黒酢の生産者たちです。 しかし今では、この製法の蔵は10社程度。
2024年8月16日


料理を科学する男
日本の料理人の地位が低すぎると感じてきた私。 フランスでは、アーティストと同じ扱いですぞ。 割烹料理店で生まれ育ち、常に住み込みで、『板場さん』と暮らしてきた。 お世辞にもまじめな板さん、、、、いなかった。 私が夫・シェフと結婚を決めたとき、父親に電話したら 『板場かぁ?』と残念そうなリアクション。 『イヤイヤ板場じゃないって、イタリアンのシェフよ』 『それ板場じゃろ?』と。 そこからの夫の頑張りは、ここに書く必要もない。 夫婦で、板場呼ばわりされないよう、息子にも常に、胸を張り、親の背中を見てもらえる仕事をした方つもり。 樋口直哉さん。今、売り出し中の『伸びしろ半端ない』料理人です。 服部調理師学校の学生だった頃、夫・シェフは、樋口さんに教えたこともおるらしい。 調理師学校の先生を経て、小説家としても、賞を獲得し、何屋がわからない程、活躍されている樋口直哉さん。 調理の温度にこだわり、食材が最も美味しいおんどを科学的に解説されるわ、昔ながらの和食の都市伝説を一網打尽にしてくださる。 例えば、筍を茹でるとき、必ず『ぬか』『唐辛子』必須アイテムでは
2024年6月19日


ホールーフード基礎コースのススメ
私の尊敬する大先輩、『ぼっちな食卓』の著者岩村暢子さんに過去、何度となく聞かれた質問 『タカコさん、何故料理を教えてるの?』 未だに、答えていない私。 『お金が儲かる』からだけは絶対ない。 料理が好きだからとか?世の中のためになるから? 食育活動?違うんだよねー。 割烹料理店に生まれ育った私、死んでもこの仕事を継ぐのは嫌だった。 常に板場さんや中居さんと暮らし、家庭の食卓もなく、調理場の片隅で店が始まる前に急いで食べるのがナカムラ家の日常。 メニューは、魚のあら煮は定番。刺身の切れ端、前日の茶碗蒸しや天ぷらの残り、、、、 食材は豪華だったと思うが、おかげで、どれも私は嫌いになった。 普通の家に生まれたかった。サラリーマンと結婚したいと、できるだけ実家から離れた大学に進学し、遂に東京に40年も暮らしている私。 しかも、あれほど嫌いだった料理を生業とし、夫はリーマンどころか、料理人、イタリアンの板場だ。 人生どこでどう狂うかわからないもの。 何故、私料理を教えてるんだろ? 親の仕事を継ぐという事は、当たり前かも知れないけど、とても稀な事になっている。
2024年4月29日
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