top of page

2023年振り返り

今年程、働いた年はなかった。

思い起こすと、昨年年末に、若いスタッフが辞め、その大きな穴を埋めるのに、必死。

気づいたら年末。

慣れないSNSを、否が応でも自分でやらなければいけない。

還暦も過ぎてのスマホ操作は、そりゃー、もう大変。

スタンドFMラジオ、動画の配信、新しいWEBサイトと、やれることはやってきた。

その努力とは、逆に、料理を習う人は確実に減っていると感じる。

私は、ずっと、食べたものでカラダは作られ、

食べたものがココロを育てると思って料理の大切さを伝えてきた。

他府県からわざわざ通って下さる熱心な受講生も

あり、ついつい、力入ることも多々。

でも、料理を学びたいというより、料理を作るその時間を楽しむ、人が増えたようにも思う。


こんなに猛烈に料理を教えて、ありがた迷惑かもしれない。

YouTubeで、有名料理人の動画も無料で見れる。

もう、それで充分ではないのか?

そんなふうに、秋から、私の料理を教える情熱は、少しずつ消えかけていくのを止める事ができなくなっていた。

そこに追い打ちをかけたのが、私が尊敬する女性、岩村暢子さんの『ぼっちな食卓』の一冊。

日本の家庭はこんなになっちまったのか?と。

ある日、岩村暢子さんから

『タカコさんはなぜ料理を教えてるの?』と問われ、私は答えられず。


私は、料理の技術を教えるには役不足である。

調理師専門学校出てない。

シェフでも板場でもない。

料理を通じて、自分で考え行動する事の大切さ。

この事がホールフードの根幹であることを伝えたいのではないか。

食べものがどうやって作られて、森や山の健康、

ゴミのこと、洗剤のこと、みんな繋がっていて、

そのことを考えると、自ずと、自分で料理をする事がいかに大切であり、そこがそもそもの始まり、スタート地点となる事を伝えたいのだと考えた。

ソコに気づけば、人生が楽チン。

私は1989年前に、ソコに気づいたのです。

日本でなく、アメリカをぷらぷらしているときに。

だからこの年まで、お金がなかろうが、病気になっても、人に裏切られても、慌てることはなかった。

なんとかなる。

健康であれば、どんな事だって、必ずリベンジ可能であると思い、実践してきた。

このいい加減で、快適な暮らしっぷりを、何を使って表現したらいいのか?考えた。

みんなが『なるほどなーー』と共感してくれるものはなんだろ?

デザイナー、カメラマン、SEどれも得意でない。

2003年『料理を教えること』をライフワークに選んだ。

20年、ひたすらに料理をどうやったら美味しくなるのか?誰もが楽に作れるようになるのか?

を、ずっとずっと考え研究してきたつもりだ。

その道のりで、50℃洗いやベジプロス、低温調理、AGEを見つけたのだ。

料理上手を育てたいのではない。

料理を大切に思う人を育てたいと思ってきた。


料理をしないタカコナカムラなんて、ただのオバちゃんだ!オッサンかも!


何かを辞める時、人は、いろんなことをやり尽くしてきたからと言う。

いやーーー違うな。

やり尽くしたと言える人生はないと思う。

大谷翔平だって引退するとき、、、やり尽くしたなんて言わないと思う。


料理をやらなくたって死にはしない。

料理を全くやらない人を多く知ってるけど。決して不幸でもない。


答えが出ないまま、

12月を迎えた。

そんなとき、ある、家族との出会いが、タカコナカムラに奇跡を起こす、、、、、【つづく】



閲覧数:334回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ホールーフード基礎コースのススメ

私の尊敬する大先輩、『ぼっちな食卓』の著者岩村暢子さんに過去、何度となく聞かれた質問 『タカコさん、何故料理を教えてるの?』 未だに、答えていない私。 『お金が儲かる』からだけは絶対ない。 料理が好きだからとか?世の中のためになるから? 食育活動?違うんだよねー。 割烹料理店に生まれ育った私、死んでもこの仕事を継ぐのは嫌だった。 常に板場さんや中居さんと暮らし、家庭の食卓もなく、調理場の片隅で店が

旅の学校〜埼玉県と高崎市

『農的暮らし』を私はする事が理想です。 農的暮らしとは? お天道様と共に暮らします。 夜明けと共に起き、畑に行く。朝ごはんを食べて、 山や森を眺めてコーヒーを飲んで、読書。ゆっくり畑へ行き、お昼まで野良仕事。 黄昏の時間。 いい音楽とクラフトビール。くいっ。 ゆっくりと、季節の野菜の前菜からのその日の料理に合わせた酒と音楽を楽しむ。 風呂に入って10時に床につく。 これが農的暮らし。農業が暮らしの

Comments


bottom of page