今年程、働いた年はなかった。
思い起こすと、昨年年末に、若いスタッフが辞め、その大きな穴を埋めるのに、必死。
気づいたら年末。
慣れないSNSを、否が応でも自分でやらなければいけない。
還暦も過ぎてのスマホ操作は、そりゃー、もう大変。
スタンドFMラジオ、動画の配信、新しいWEBサイトと、やれることはやってきた。
その努力とは、逆に、料理を習う人は確実に減っていると感じる。
私は、ずっと、食べたものでカラダは作られ、
食べたものがココロを育てると思って料理の大切さを伝えてきた。
他府県からわざわざ通って下さる熱心な受講生も
あり、ついつい、力入ることも多々。
でも、料理を学びたいというより、料理を作るその時間を楽しむ、人が増えたようにも思う。
こんなに猛烈に料理を教えて、ありがた迷惑かもしれない。
YouTubeで、有名料理人の動画も無料で見れる。
もう、それで充分ではないのか?
そんなふうに、秋から、私の料理を教える情熱は、少しずつ消えかけていくのを止める事ができなくなっていた。
そこに追い打ちをかけたのが、私が尊敬する女性、岩村暢子さんの『ぼっちな食卓』の一冊。
日本の家庭はこんなになっちまったのか?と。
ある日、岩村暢子さんから
『タカコさんはなぜ料理を教えてるの?』と問われ、私は答えられず。
私は、料理の技術を教えるには役不足である。
調理師専門学校出てない。
シェフでも板場でもない。
料理を通じて、自分で考え行動する事の大切さ。
この事がホールフードの根幹であることを伝えたいのではないか。
食べものがどうやって作られて、森や山の健康、
ゴミのこと、洗剤のこと、みんな繋がっていて、
そのことを考えると、自ずと、自分で料理をする事がいかに大切であり、そこがそもそもの始まり、スタート地点となる事を伝えたいのだと考えた。
ソコに気づけば、人生が楽チン。
私は1989年前に、ソコに気づいたのです。
日本でなく、アメリカをぷらぷらしているときに。
だからこの年まで、お金がなかろうが、病気になっても、人に裏切られても、慌てることはなかった。
なんとかなる。
健康であれば、どんな事だって、必ずリベンジ可能であると思い、実践してきた。
このいい加減で、快適な暮らしっぷりを、何を使って表現したらいいのか?考えた。
みんなが『なるほどなーー』と共感してくれるものはなんだろ?
デザイナー、カメラマン、SEどれも得意でない。
2003年『料理を教えること』をライフワークに選んだ。
20年、ひたすらに料理をどうやったら美味しくなるのか?誰もが楽に作れるようになるのか?
を、ずっとずっと考え研究してきたつもりだ。
その道のりで、50℃洗いやベジプロス、低温調理、AGEを見つけたのだ。
料理上手を育てたいのではない。
料理を大切に思う人を育てたいと思ってきた。
料理をしないタカコナカムラなんて、ただのオバちゃんだ!オッサンかも!
何かを辞める時、人は、いろんなことをやり尽くしてきたからと言う。
いやーーー違うな。
やり尽くしたと言える人生はないと思う。
大谷翔平だって引退するとき、、、やり尽くしたなんて言わないと思う。
料理をやらなくたって死にはしない。
料理を全くやらない人を多く知ってるけど。決して不幸でもない。
答えが出ないまま、
12月を迎えた。
そんなとき、ある、家族との出会いが、タカコナカムラに奇跡を起こす、、、、、【つづく】
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