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鍋屋再燃ぐつぐつ物語その1

更新日:4 時間前

私は鍋フェチ。今でも家中、鍋だらけ。

鍋にハマったのは、かれこれ40年以上も前。

ホールフードの師と仰ぐジャーナリストの

丸元淑夫さんの『システム栄養学』なるものに傾倒し、理想的な料理『オプティマル料理』を我が人生のゴールに決めたその日からはじまったのでした。

丸元先生の本に、やたらに

『ステンレス多層鍋』が登場。栄養を損なわない料理の必須アイテムとして置かれていた。

『無水調理』をみた時、びっくらこいた。

もしかして、野菜料理に最強かも?

1980年代後半、アルミ鍋全盛、ステンレス多層鍋なんかB社以外にはないくらい、稀有なものだった。

先生の本にも、料理はコレ!みたいにB社の鍋でまくり、欲しくてたまらなかった。

その頃のタカコには高くて買えない高嶺の花よ。

アルバイトをして、やっとこさ1個買いました。

毎日、無水調理。無油調理よ。夢の鍋がキッチンにあるだけで、料理が益々、好きに❤️

そしたらどーよ、しばらくすると持ち手が焦げて、臭い。

すぐに持ち手グラグラとネジが緩むわけ。

『こんな、高価な鍋がこんなんじゃーさー

ダメじゃんーー』とメーカーに

クレームするどころか、タカコ、鍋を探しにアメリカへ。

なんで?その頃の日本は雪平鍋とか、アルマイトの鍋ばっかりで、プロの調理場だって、アルミの片手鍋が定番。

鍋で化学反応が起きることや、アルミの健康被害なんて、口にするものもいない遅れた社会でした。

何故だか、結婚式の引き出物にも、ホーローの花柄の鍋なんかついていた、そんな貧しい日本だったの。知識レベルが低かった、貧しかったつーこと。

だから、私は、はなっから、日本の市場は、見捨ててたわけ。カッコいいーー?

そしてついに、サンフランシスコの友人に頼みまくり、探してもらい見つけたのでした。

テキサス州産の夢のステンレス多層鍋。

たまたま、丸元先生のキッチンが何かの雑誌にだていたとき、狂気乱舞💃


『あーー!コレ、同じ鍋だ!』

タカコ見る目あるぅー!センスいいわぁ!

タカコ20代のパリピ時代。

金もないのに、鍋屋になる事を一人で決めたのだった。

そこには、事業計画も資金繰りも、もちろんマーケティングの『マ』の字も一切なし。

尊敬する丸元先生により高性能のステンレス多層鍋を見せたい、使いたいだけで、

タカコの鍋屋は出発進行ーー!  

タカコの鍋物語は、話せば長いことながらなので勝手に連載となります。関心のある方のみご期待ください。


つづく





 
 
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