鍋屋再燃ぐつぐつ物語その1
- タカコ ナカムラ
- 6月17日
- 読了時間: 2分
更新日:4 時間前
私は鍋フェチ。今でも家中、鍋だらけ。
鍋にハマったのは、かれこれ40年以上も前。
ホールフードの師と仰ぐジャーナリストの
丸元淑夫さんの『システム栄養学』なるものに傾倒し、理想的な料理『オプティマル料理』を我が人生のゴールに決めたその日からはじまったのでした。
丸元先生の本に、やたらに
『ステンレス多層鍋』が登場。栄養を損なわない料理の必須アイテムとして置かれていた。
『無水調理』をみた時、びっくらこいた。
もしかして、野菜料理に最強かも?
1980年代後半、アルミ鍋全盛、ステンレス多層鍋なんかB社以外にはないくらい、稀有なものだった。
先生の本にも、料理はコレ!みたいにB社の鍋でまくり、欲しくてたまらなかった。
その頃のタカコには高くて買えない高嶺の花よ。
アルバイトをして、やっとこさ1個買いました。
毎日、無水調理。無油調理よ。夢の鍋がキッチンにあるだけで、料理が益々、好きに❤️
そしたらどーよ、しばらくすると持ち手が焦げて、臭い。
すぐに持ち手グラグラとネジが緩むわけ。
『こんな、高価な鍋がこんなんじゃーさー
ダメじゃんーー』とメーカーに
クレームするどころか、タカコ、鍋を探しにアメリカへ。
なんで?その頃の日本は雪平鍋とか、アルマイトの鍋ばっかりで、プロの調理場だって、アルミの片手鍋が定番。
鍋で化学反応が起きることや、アルミの健康被害なんて、口にするものもいない遅れた社会でした。
何故だか、結婚式の引き出物にも、ホーローの花柄の鍋なんかついていた、そんな貧しい日本だったの。知識レベルが低かった、貧しかったつーこと。
だから、私は、はなっから、日本の市場は、見捨ててたわけ。カッコいいーー?
そしてついに、サンフランシスコの友人に頼みまくり、探してもらい見つけたのでした。
テキサス州産の夢のステンレス多層鍋。
たまたま、丸元先生のキッチンが何かの雑誌にだていたとき、狂気乱舞💃
『あーー!コレ、同じ鍋だ!』
タカコ見る目あるぅー!センスいいわぁ!
タカコ20代のパリピ時代。
金もないのに、鍋屋になる事を一人で決めたのだった。
そこには、事業計画も資金繰りも、もちろんマーケティングの『マ』の字も一切なし。
尊敬する丸元先生により高性能のステンレス多層鍋を見せたい、使いたいだけで、
タカコの鍋屋は出発進行ーー!
タカコの鍋物語は、話せば長いことながらなので勝手に連載となります。関心のある方のみご期待ください。
つづく