『ベジブロス』誕生のヒストリーをお話しします。
1983年頃、今話題の『文春』に、ジャーナリストであり栄養学者の故・丸元淑生先生がアメリカでベストセラーになった『ビタミンバイブル』を翻訳され、その連載が掲載されていた。
その頃は、日本人はビタミンやサプリメントを飲む習性はなく、あたりまえですが、栄養は食べ物や飲み物からという考え。
丸元先生の連載ファンから、先生の本を読みあさるようになったタカコ20代でした。
丸元先生は、『システム栄養学』と称し、アメリカの最新の栄養学や『オプティマルな料理方法』を多くの著書に書かれていた。
どれも、私は、強く関心を持ち、豆やスプラウト、全粒粉など片っ端から試して、その美味しさや栄養効果を体感し、益々、丸元先生のファンになっていた。
その頃は、先生へも質問をファンレターとして、送ったりしていたなぁ。
先生の理論は、従来の栄養学や調理法とも全く違う、新しい何かを感じていた。
どの本も素晴らしいのですが、なんたって
『生命の鎖』は私の生き方も進む道まで変えた指南書でした。
『私たちが食べるもので世界の環境が変わる』そのフレーズこそ、ホールフードの根幹を表すものだ。
当時、私はブラウンライスという小さなお菓子の製造卸しの社長さん。
しかし、先生の著書には、すでに、アクリルアミドや、炭水化物と糖質を高温調理する弊害や砂糖の摂り過ぎ、果てはオメガ3のことまで書いてあった。
焼き菓子を作る事に罪の意識さえ持っていた私は、
菓子屋からの脱却を計り、ついには、会社を売却。
表参道という晴れ舞台でカフェをプロデュースする事になり、菓子屋の社長から料理家へシフトしていくことができた。
その鞍替えには、ニールズヤードの梶原社長にはうんとお世話になりました。
先生のシステム栄養学の理論は素晴らしく、
中でも、『ファイトケミカル』の効用、野菜の皮や根っこで取る『野菜だし』を見た時、ピン❗️ときた。
これだ、これ、ホールフードのシンボリックな料理はコレ❗️
あれから40年が過ぎ、菓子屋時代の賄いから、表参道のカフェ、タカコナカムラホールフードスクールの看板メニューとして、ずっと教えてきたのが『ベジブロス』でした。
私も還暦をとっくに過ぎ、いつポックリ行くかわからない。
この世の中に何を残したいのか?と考えると、私は金でも名誉でもなく、間違いなく『ベジブロス』だ!
近年、野菜だけのベジブロスから魚のあらで作る『フィッシュベジブロス』骨付き肉で作る『ボーンベジブロス』の3兄弟に進化させた。
私がこの世から消えた後の指導者はベジブロスの取り方や使い方だけじゃまだまだ。
野菜についてもエキスパートになって欲しい。
だって、ベジブロスは野菜がなくては作れないからね。
私に『野菜の選び方』を伝授してくださったのが、富山県の農家、『さくさく村』の故・吉田稔さんだ。
吉田さんは、農協で働き、農薬や化学肥料の弊害を知り、自ら発酵堆肥ポーマンを製造、ブランド米『医王の舞』を栽培。
現在は、息子の剛さんがしっかと継がれています。
吉田さんは、『野菜は全部女性。女性の選び方とおんなじ』と話されていた。今なら、完全に、モラハラ、アウト!ですね。
その独特の野菜や稲の見分け方は、どの野菜の教科書にも書いてないものであり、私はその吉田稔メソッドを継承している。
我が愛するベジブロスを後世に伝えてくれる、志し高い人を育成する講座が『ベジブロスマエストロ認定講座』
料理教室を運営する人にとって、ベジブロス程、わかりやすく、伝えやすいテーマはないと思う。
しかも、発案者に学べる。素敵💓
電気好きが、エジソンから学ぶようなもん。
違うかっ?!
ベジブロスからの料理へのレシピ展開も無限大。
願わくば、農業を大切に考える人を育てて欲しいので、畑に飛び出そうよ。
〜風が吹いたら桶屋が儲かる〜的に考えると、
ベジブロスをはじめると、野菜の素性が気になり、野菜に興味を持つ、すると、自ずと農業、環境にまで関心が広がるわけ。
気がつくと、ホールフードライフを自然に楽しむ人になってるのです。
ベジブロスをはじめると、人生の質が確実に変わります。
さぁ、ベジブロスはじめませんか?
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